Chapter 01 — The Story

物語 — 三億年と、江戸の粋300 million years, and the pride of Edo

イワヒバ(巻柏)はヒカゲノカズラ類——シダよりさらに古い系統で、その仲間は約三億年前の石炭紀に大森林を作っていました〔一般植物学の知見〕。 その「生きた化石」が、江戸の人々の手で錦のような園芸品種に磨かれ、 番付がつくられ、名前ごと現代まで手渡されてきました。これはその継承の物語です。 A lineage older than dinosaurs, refined by Edo gardeners into living brocade — ranked, named, and handed down for centuries.

そもそも、どんな植物? 幹に見える部分は実は根の集合体、葉に見えるのは茎。花は咲かず胞子で殖え、 数ヶ月水がなくても枯れず、雨に逢えば甦る——古来「長生不死草」〔出典: 『趣味の古典植物』/立花・岡村『よみがえる』〕「萬年草」〔出典: 秋元新蔵(『蘭・萬年青・巻柏』1932)〕と呼ばれ、中国の薬学書には今も「九死還魂草」の名で載ります〔出典: 江赤省植物葯材誌(1959)・立花・岡村『よみがえる』所引〕。 中国の本草書では五百年前から薬草として記録されますが、園芸品種に育て上げたのは世界で日本だけです 〔出典: 立花吉茂・岡村寧『よみがえる古典植物いわひば』〕。

歴史絵巻 — 名寄から銘鑑へTimeline

1694元禄7

『花壇地錦抄』— 最古の園芸記録

江戸の花戸・三之丞が園芸品種としてのイワヒバを初記載。葉の短い「たうげひば」を上等とした。元禄の江戸で、イワヒバはすでに「見比べる」植物だった。沼尾鶴雄『巻柏 品種の変遷』/立花・岡村『よみがえる古典植物いわひば』

1827文政10

斑入りの初記録『草木奇品家雅見』

「いただきいわひば」の図に「爪斑雪を帯たるが如し」。葉に雪を宿す美が、初めて書物に残る(発行年は文政10年=1827が通説、文政8年=1825とする資料も⚠相違)。2年後の『草木錦葉集』(文政12)には斑入り5品種が図入りで並んだ。沼尾鶴雄『巻柏 品種の変遷』

1843天保14

『東都 岩檜葉名寄取組』— 現存最古の番付

相撲の番付に見立てて56品種を格付け。現在の銘鑑の原型である。前年に幕府が鉢植えの高価売買を禁じた直後の発行——「幕府の威光にも拘らぬ、当時の繁栄振りを物語っている」。掲載56品種のうち約7割が後代の銘鑑に名を残すとされる〔沼尾資料〕(直接の現存確認を21品種とする書籍も⚠相違〔立花・岡村〕)。沼尾鶴雄『巻柏 品種の変遷』

1860萬延元
東都植木屋連中の岩檜葉名寄(萬延元年頃・推定)

『岩檜葉名寄』— 第1期黄金時代

東都植木屋連中による85品種。番付ではなく特徴別分類を創始し、この分類法は現在の銘鑑にまで継承される。楊貴妃・古金襴など最高級品種が出揃った。縦42cm×横48cmの木版墨刷を四つ折りにして持ち歩いた。沼尾鶴雄『巻柏 品種の変遷』/立花・岡村『よみがえる古典植物いわひば』

1898明治31

『巻柏種類名寄』— 全品種に説明文

東京有志者中による93品種。初めて全品種に説明文が付き、江戸期品種の特徴を今に伝える「ロゼッタストーン」となった。明治34年(1901)には信濃(長野)でも97品種の銘鑑が編まれ、中山道を介した趣味者の交流がうかがえる。沼尾鶴雄『巻柏 品種の変遷』

1900明治末〜大正

空白の二十年

イワヒバが世間から姿を消し、多くの品種が失われた。だが絶えてはいなかった——地方の棚で、名と株は静かに守られていた。立花吉茂・岡村寧『よみがえる古典植物いわひば』

1930昭和5
昭和5年の巻柏之銘鑑

金麒麟、ブームに火を点ける

「玉獅子の変化にして、葉は極細かく密生」する黄金色の名品金麒麟の出現を機に東京巻柏會が結成され、銘鑑が復活。愛知の青桃園、水戸の天神山木楽園など個人銘鑑も各地で編まれた。本サイトの銘鑑書庫で昭和5年の実物スキャンが見られる。沼尾鶴雄『巻柏 品種の変遷』

1943昭和18
昭和18年の巻柏之銘鑑

戦時下の銘鑑

大東亜戦争2年目、東京金龍會が旭日旗と日の丸を掲げた銘鑑を発行。63品種。戦火の中でも「泰平楽」「飛金龍」という新品種が初出している——平和を願う名を、戦時に与えた人々がいた。沼尾鶴雄『巻柏 品種の変遷』

1947昭和22
昭和22年の巻柏之銘鑑 第1号

日本巻柏連合会、結成。

終戦間もない物資難の中、全国の愛好家が結集して『巻柏之銘鑑』第1号(73品種)を発行。昭和27年の第3号では稀代の名品泰平冠が一芽数万円(現在価値で数十万円)で取引された。第5号以降は毎年発行され現在に至る(第5号の年は昭和32年〔連合会公式〕と昭和30年〔沼尾資料〕で⚠相違)。沼尾鶴雄『巻柏 品種の変遷』/日本巻柏連合会公式サイト

1972昭和47

新登録制度はじまる

「巻柏の登録に関する規定」を実施。7年生以上の親と3年生以上の苗50本を揃え、年3回の審査を経てようやく登録される。1つの変わり芽から登録まで数十年かかることもある——新品種は今も、この門をくぐって生まれている。日本巻柏連合会「品種の新登録」

1974昭和49

品種統合 — 名前の大整理

連合会監修『原色イワヒバ銘鑑』の刊行に合わせ、地域で呼び名が割れていた品種を統合(故郷錦→九重錦、日光→友白髪など)。同時に青柳・黒龍など8つの古来種が復活掲載された。名前の系譜学が、ここで一度整えられた。沼尾鶴雄『巻柏 品種の変遷』

2026令和8

第74号銘鑑、発行。

1843年の名寄から183年。日本巻柏連合会の銘鑑は第74号を数え、全国13支部で展示会・交換会が続く。10月には東京・神代植物公園で第74回全国展示大会。この番付文化は、いまも毎年更新される「生きた伝統」である。日本巻柏連合会公式サイト(2026年)

名前は旅をする — 五品種・二百年の追跡Five names, two centuries

文政12年(1829)『草木錦葉集』に描かれた5品種を、研究家・沼尾鶴雄氏が手持ちの全銘鑑で追跡した記録。名前は改まり、姿は受け継がれる——イワヒバの「家系図」です。

文政12年(1829)天保14年(1843)萬延元年(1860)明治現在
善右衛門白布水野爪金唐花唐花唐花
岩ひば黄布蜀農錦蜀江錦蜀之錦蜀光錦
弥七岩ひば四季の曙四季の曙四季の曙西ノ有明(70年の空白あり・異説も)
細葉岩ひば茶保宿リ細葉岩檜葉(150年の空白)
いただき岩ひば布嵿岩檜葉嵿檜葉嵿檜葉不明(明治34年を最後に消息を絶つ)

著者自身が「半端な知識による主観論や推測もあり、異論も有る」と断る研究であり、空白期間のある系譜には⚠疑義が付されている。沼尾鶴雄『巻柏 品種の変遷』

「富賀見艸」は黒牡丹か — 夢のある話

天保の品種「富賀見艸(ふかみぐさ)」は牡丹の別称。「葉姿が牡丹の花に似た黒牡丹だったのではないか」という説がある。萬延の名寄で「富賀見艸」が消えると入れ替わるように「黒牡丹」が現れる——沼尾氏は「的を射ているかもしれない、夢のある話」と書き留めた。

大井澄雄氏(栃の葉巻柏会副会長)談〔沼尾鶴雄『巻柏 品種の変遷』所収〕

「金龍」誕生の謎

「金毛織→金龍」の改名説が定説だが、明治34年銘鑑では「金龍」が特大文字で新規掲載され、「金毛織」と同時に載っている。昭和50年代のこの銘鑑の再発見が、定説に再検討を迫った。歴史は、まだ動く。

沼尾鶴雄『巻柏 品種の変遷』

「富士之華」— 誕生説までもが稀代の迷品

戦後を代表する名品「富士之華」には、金龍の胞子発芽説・石垣への自然発芽説・飛金龍の色彩変化説など諸説が乱立。「どれが嘘やら誠やら、諸説入り乱れての大賑わい、いやはや誕生説までもが稀代の迷品なのである」。

沼尾鶴雄『巻柏 品種の変遷』

こぼれ話 — 愛好家という生き物Tales from the benches

歴史をつないできたのは、文献ではなく人でした。日光の研究家・沼尾鶴雄氏(筆名・巻柏仙人)の随筆から。

イワヒバの書棚The Bookshelf

本サイトの記述を支える主な文献。それぞれの時代の「持論」が詰まっています。

書名・資料名著者・編者年代ひとこと
蘭・萬年青・巻柏石井勇義 編/石川安太郎ほか昭和7年(1932)戦前の培養理論。「貨車一台でも送れ」という流行の証言
いわひば よみがえる古典植物立花吉茂・岡村寧昭和44年(1969)植物学と歴史の金字塔。pH実測・自生地調査
原色イワヒバ銘鑑日本巻柏連合会 監修昭和48年(1973)品種統合の基準となった写真集
いわひば育て方のコツ(カラー園芸入門)日本巻柏連合会 編昭和49〜54年培養技術の教科書。沼尾氏も「知識の大半をこの本から得た」
流行の古典植物いわひば鶴水隆・亀井吉輝・岡島秀光昭和51年(1976)スルメ自家肥料の失敗談まで載る実践書
イワヒバ(巻柏)の作り方と楽しみ方亀井吉輝昭和52年(1977)「水かけ三年」。初心者向けの語り口
いわひば平成銘品集日本巻柏連合会 監修平成24年(2012)品種別の日照・肥培の現行リファレンス(栃の葉書房)
巻柏 品種の変遷・巻柏こぼれ話沼尾鶴雄(私家資料)平成13年(2001)銘鑑系譜研究の集大成。本章の背骨
岩檜葉 四方山話(Webサイト)巻柏仙人(沼尾鶴雄)平成期〜品種・培養・随筆。現存サイト

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